セネガル渡航記
 
<10年ぶりのパリの街に思うこと>

 東京時間では既に新年を迎えているが、時差が8時間のパリではまだ大晦日である。マドレーヌ寺院近くの小さなホテルにチェックインし、新年を迎えることになった。ホテルのカウンターには太ったお姉さん一人しかおらず、タクシーから重たい荷物、約80kgを降ろしたが、勿論ポーターなんぞはいなく、一人で運ぶ羽目になった。
 エレベーターは人が二人乗れば一杯の、古い映画に出てくるあの旧式エレベーターである。まず横開きにそのフロアーの鉄柵ドアを開き、さらに内側のドアを横に再度開く、乗ったら逆の操作を繰り返す。荷物は4個、それにパソコンが入ったショルダーだ。うむ、2回の往復で何とかなるか、やれやれ5階までこれを繰り返した。

10年ぶりのパリの街並みである。パリの街の景観はさほど変わっていない、そして1989年に「パリの都市再開発」というテーマで懸賞応募し、雑誌ブルータスの取材旅行をしたことを思い出す。当時のヨーロッパは都市の再開発が華やかかりし時代で、現在のパリの主な現代建築は1992年頃までに完成している。1992年頃までバブル意識を引きずっていた私は、自己研鑽と称してロンドン〜アムステルダム〜パリ〜セビリヤ〜ジェノバ〜ミラノと博覧会巡りを行っていた。華やかなバブル生活の最後であり、収穫は多々あったが、それから3年、5年、人生の雌伏生活に入っていった。

都市を生き物としてとらえた場合、景観を保存することは大切なことであるとしみじみと思う。コンクリート建築と違い石建築のため、外観は古くなっても内装水回り等を新しくすれば生活は出来る。いや、そこに知恵や工夫が働き、文化が生まれる。生活文化意識の低い国ではその発展は大幅に遅れる、私が知るマレーシア、セネガル然りである。文化が都市インフラを創り出し、発展させていくものと思う。
 そう言えば出発前に、東京西部で景観を損ねるとしてマンションの取り壊し判決があったが、これも都市文化の避けられぬ発展性の故であろうか。

<闊歩するのはホワイトコリアン?>

 夕方ぶらりと散歩に出た。ファッションに溢れた街を歩く。それにしても日本人がやたら目立つ。若いカップル、おじさんの一人歩きも結構目立つではないか(人のことは言えないが)。

 エルメス等ブランドの聖地はほとんど日本人で埋め尽くされている。年末年始はやはり、日本人がお得意様なのかもしれないが、よく見ると中国人の他に韓国人カップルが目立つ。アジアのリゾートでは既に韓国人、中国人に浸食されており、カメラと三脚を持った新婚カップルが写真を撮りまくっている。生活のために異国に赴く人々でなく、あくまで観光客である。
 観光客と言えば、昔は眼鏡とカメラを持った典型的な日本人像が描かれたが、韓国人なら縁なし眼鏡と三脚、ソイソースならぬキムチかなと。はてさて、今の日本人を海外の皮肉屋たちが描くとどうなるのか。差詰め横文字ブランドの文字の入った洋服と靴、バッグ、それにブランドの記された紙袋が象徴的に持たされてしまうのかな、と考えてしまう。

 そう言えば“ホワイトコリアン”なる言葉があったことを思い出した。直訳すれば“白い韓国”となるが、食絡みで使われているようで“白い韓国食”「タクチュウ(鶏粥)」や「ムルキムチ(水キムチ)」などのことを表す。韓国では夏場の栄養補給、夏バテ予防に効果的な食事としてごく当たり前な存在だそうである。日本で韓国料理と言えばキムチ、そのキムチの色を連想してか、韓国=情熱的な“赤”に目が行きがちであるが。

<牡蠣よりも刺身、鮨を食す>

 どこの国、どの土地に行っても、最初の第1歩を踏み出した時は得も言われぬ不安感が頭をかすめる。地図を確かめながら何分か歩くうちに気持ちは落ち着き、歩は快適に進むようになる。ましてやこのパリは何度も訪れており、サントノーレ通り、オペラ座通りを懐かしみ「この場所にはこの店があったなあ」と感慨に浸りながらも、足取りは軽くなっていく。

 夜は妻の知り合いと食事。「何が食べたいですか」と問われる。プレートに乗った牡蠣やムール貝などでサンセールの白ワインもいいなと思いながらも、そう言えば、出発前はドタバタ続きで美味しい鮨を食べられなかったのが悔やまれると気づき、鮨か刺身だと思い直す。ダカールに行ったら、生の魚はなかなか食べられない、そうだ、やはり…ぎりぎりまで日本人に徹しよう。
 連れて行かれた居酒屋でお任せコースを食す。日本酒と焼き鳥、刺身、鮨を食べながら、二人で盛り上がったが夜10時前に強烈な眠気が襲う。シャンゼリゼ大通りでニューイヤーの大騒ぎを見たかったが、駄目だ、残念、断念。彼はもう少し飲んでいたかったようである。
 一人、屋根裏風のホテルの部屋に戻り爆睡に入る。それにしても長い大晦日であった。

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