| ダカール滞在記 | ||||||
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<ダカールの風ならぬ“風邪”> 1月1日夜にダカール到着後、2日後からサン・ルイに出掛けたり、13日からはモーリタニアに行ったりしていた。ゆっくりと落ち着いた日々は未だなしの状態が続いている。昨年までの疲れが出たのか、到着早々風邪を引いたようで、そのセネガル風邪が継続している。 また、日本では「風邪はいつも1週間で治っていた」とこちらの日本人に言うと、彼らは一様に「セネガルの風邪は長いですよ! 2〜3週間以上もかかることが多いです」とすげなく答えを返された。しかし、まだまだ鼻のじくじくは続いている。この原因がやっと分かってきた。砂漠からの風により砂埃がひどい時がある、この砂には病原菌が含まれており、どうやらこれがアレルギー症状を起こし鼻炎状態になっているようである。 <主夫業とメイド> はてさて、「昼間は何をしているのですか?」と現地の日本人からも問われるが、主夫業と駄文業と言わざるをえない。勉学読書もわずかながら行っているが・・・。 それから昼食の準備である。妻は基本的に会食、お昼当番以外は家に戻って昼食となる。基本的なことはメイドさんがやるが、何せ料理の文化が違うからすべてを任せることが出来ない。日本人には、パスタあり、中華あり、和食等何でもあり舌文化がある。また、夫婦揃って味のこだわりからは抜け出せないところもある。後片づけだけはすべて任せられるようになっているが。
<作務衣に市民権を> ダカールに着いて間もない1月7日火曜日、大使主催の在住日本人向け餅つき大会が大使公邸であった。私は一応大使館員の主夫としてホスト側として参加したが、このところネクタイ着用のパーティではない限り公のパーティでは“作務衣”を着用している。海外のビーチリゾートでは夜のディナーにも着ていけるし、日本的な民族衣装としても外国人に理解されやすい。故に“作務衣愛好会”でもつくり、女性の着物姿に負けない男性の文化として広めようと本気で思っている。 作務衣は元々、禅寺のお坊さんの作業着、普段着であるが、若者たちにもやっと注目されて来ている。甚平と同じものと見られるが、全くその着こなし方は違う。今は由来を調べる手段がないため、詳しくは述べないが。今日本で甚平は、流行モノとして女性の浴衣姿に男性が合わせ、着られているに過ぎない。そこには文化というものはひとかけらもなく、ただ女性の尻についていくという卑しい男性根性が染みついたものである。そのパンツとおぼしきモノは彼らが忌み嫌うステテコと同じである。 <セネガル人女性あれこれ> 自宅メゾンはダカール市内のちょっと小高い丘にあり、6階の部屋からは遠くに大西洋を望むことが出来る。大統領府やゴレ島等も見渡せるが、ちょっと下を見るとセネガル人の邸宅がよく見える。昼間、その庭には3人の若くスタイルの良いセネガル人女性をよく見かける。最初はメイドかなと思ったが、何日か観察していると(覗き趣味だな)、どうやらイスラムの国故、夫人が何人かいる様子である。羨ましくもあるが、財力いや金力がかなり無いと一夫多妻は出来ないのである。実際は離婚も多いようで、子供が出来て離婚された女性は大変な思いをするそうである。一方その陰で女性が少なくなり、ホモとなる男性もかなりの数がいるとか。
さて、セネガル人の女性はお尻が丸く本当にキュッと上がって抜群のスタイルをしている。ましてや「セネガルの着倒れ」の異名を取るくらいお洒落な女性たちである。デザインも優れた原色の民族衣装「ブーブー」が、その黒い肌によく似合っている。その美しさはアフリカで三本の指に入ると断言する人もいるらしい。衣装のデザインにも流行があるらしく、過日行ったヌアクショットの市場には、生地を求めて、セネガル人女性商人が買い付けにまで来ていた。実際に買ってきて、メイドさんにあげたが、「これは今、流行の生地で嬉しい」と大感激された。 ところで、その美しい女性も、一般的には結婚するとメイドを使って働かず、動かずに毎日を過ごすそうである。そのため、数年経って、三段腹の中にネズミが死んでいたのに気がつかなかったという笑い話もある。モーリタニアでの話だが。
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