サン・ルイ記
 

<郵便飛行機、星の王子様>

 サン・ルイはセネガルの北、モーリタニアとの国境地帯にあり、セネガルを含む周辺諸国の旧首都である。かつてはフランス植民地経営の中心地であり、川と海に挟まれた小さな島と細長い島が中心になっている。その小さな島には今も植民地風の建物が残っており、コンクリートブロック造りの建物は未だフランス人中心の居住区となっている。ほとんどが2階建ての街並みで、旅行者向けのレストラン等があり、看板等派手な装飾はほとんど無い。


遠くにサン・ルイの町並みを望む

2階建ての古い家が続く

 泊まりは“HOTEL POSTE”102号室。こぢんまりとした、いかにもフランスらしい、小さな旧ホテル様式である。このホテル全体には飛行機をモチーフした様々な装飾が施されていて面白い。特にランプシェードには飛行機が描かれ、気球を模したランプスタンドも置かれている。その他、往時を思い起こさせる写真地図ポスター等が壁一面に張られている。
 昔、郵便などを運ぶ飛行機会社が経営していたと思われ、レストランの天井に描かれた地図にはそのルートが記してある。そのコースはフランス国内からスペイン国内へと続き、ジブラルタル海峡を越えてアフリカ大陸に渡り、カサブランカ〜西サハラ〜サンルイ〜ダカールへのルートが描かれている。さらに、大西洋を越えてブラジルへ、さらにペルーまで飛んでいたようである。

 ならば、やはり登場するのが“星の王子様”。私は読んでいないのでよく分からないが、サンテクジュペリがサハラ砂漠横断中に飛行機事故に遭い、その経験を書き上げて小説にしたのがこのサン・ルイという街。
 果たしてこのホテルがその舞台であったかは、フランス語のパンフレットが分からない私には不明である。


HOTEL POSTEの外観

壁には飛行機のポスターが

<セネガル料理とビエール>

 早速、昼食を食べに出る。昼食は初めてのセネガル料理に挑戦。トマトソースで煮込んだ野菜や魚を米の上にかけて食べるセネガル風パエリアの“チャブジェン” TIBEOUDINENEEにチャレンジする。インディカ米やタイ米を細かく砕いたような米は、ほとんどクスクスに近い状態になっている。美味しいとは言えないが、味付けの問題であろうか。後日ダカール在住の中国人夫妻が紹介してくれたチャブジェンは、しっかりとした味付けで美味しいと感じられた。
 この他、代表的なセネガル料理にはチキンか魚をタマネギを入れ、レモン風味で味付けした“ヤッサYASSA”、ピーナッツシチューをご飯にかけた“マフェMAFE”等がある。アジアンフードも同じであるが、米を主食としている民族は基本的に、おかずの魚や肉、それを煮込んだスープの汁かけご飯が主流である。食文化の基本は出し汁をしっかりと摂るということに尽きると思われる。

 料理の前にビエールで喉を潤したが、セネガルには「フラッグFLAG」と「ガゼルGAZELLE」の二種類のブランドがある。ガゼルビールはアルコール分4%と、水のようで飲みやすい。さらにワインを頼むが、どこに行ってもワインは美味しい。やはりフランスの影響下にある。しかし、妻はどこに行っても、まずはクスクスを食す。
 夕食はイタリアンレストランで食べたが、昼食にも出た白身の魚の皮は美味しく“キャピテン”という名前の魚らしい。


町のレストラン

セネガル音楽をやっている店

<希望と絶望の街>

 ホテルのある小さな島からほんの数十m先の橋を渡ると、幅が200mもない細長い島となる。静かな街並みだった先ほどの島とは違い、街並みが一変し、セネガル人居住区となっている。潮の臭いと干した魚の臭いが入り混じるゴミの多い地帯であり、ゴミだらけの砂浜の先には果てしなく大西洋が広がっている。その島の突端には、クラブメッドを思い起こすリゾートホテルが建っている。ここから船で、黒人奴隷がダカールのゴレ島に送られ、売買されていったという。

 そう言えば自宅の窓からはゴレ島=ILE DE GOREが、セネガル大統領府の先に遠望出来る。ゴレ島はユネスコの世界文化遺産になっているが、西アフリカの代表的な奴隷積出港であった。1777年に建てられた奴隷の家は、今は観光の目玉になっており、のんびりと落ち着いた雰囲気が漂い、ミュージシャンやアーティストが多く住み着いているという。実はまだ訪れていない。
 奴隷商人らによって捕らえられた人々は、ゴレ島から新大陸への旅立ちを強いられたが、その海の先には絶望だけだったのであろうか、それとも幾ばくかの希望が見えたのであろうか。日本では補陀落信仰があり、琉球ではニライカナイ信仰であるが、海の先には、まだまだ希望があった。


大西洋を望む海岸

大統領府の陰にゴレ島を望む
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