| モーリタニア旅行記 | |||||
| <寒さが身にしみる>
当夜のホテルは“HOTEL KHATER”である。所謂高級ホテルは2軒ほどあるようだが、ビジネス客で満室のため、日本でいう地方都市のビジネスホテルクラスに泊まる。はは〜ん、やはりお湯がほとんど出ない、トイレも水洗であるが、流れがよくない。想像していた通りであるが・・・この先が思いやられる。 砂に浸食された街である。ヌアクショットは、1960年に独立した時に建設された街で、当時はまだ緑溢れる土地であったと言われている。40年経って完全に砂漠化しており、アスファルトで舗装された道路以外はすべて砂で覆い尽くされている。
<駱駝な話> 夜、食事をしながら、今回の案内役を務めてくれるJICAの漁業専門家からこの国の様々な現況を伺う。イスラム国であるから、酒は御法度と聞いてきており、覚悟をしてきたが、いくつかの外国人向けホテルでは飲むことが出来ると言う。ならば、喉を潤したいとビエールを頼むと缶のままで出された。さらに「赤い水、白い水=ワイン」を飲むことが出来た。さすがボトルそのままではまずいとのことで、ピッチャーに入れて出された。 ■ 1月14日=ヌアクショットにて ■ <首都ガイド> 妻は公用で、文化省、教育省、博物館、名誉総領事館を回る。私は専門家の好意でガイドを借りられ、1時間ほど市内を巡る。言葉は分からなかったが、身振り語手振り語で会話した。
<ハルマッタンが運ぶ砂> モーリタニア北部は砂漠気候であり、セネガル川流域を中心とする南部は農牧も行われる「サヘル」気候である。4月〜10月の日中は40度を超える暑さになるが、2月〜3月はサハラからの乾いた風“ハルマッタン”が吹き、かなりの寒さとなる。そう言えば、この旅の中で、民族衣装とともに、厚手のダウンジャケットを来ている姿が目に付いた。 この風で地上に砂がどんどんたまっていくと言われている。また空高く舞い上がり、太陽を直視出来るほど空を覆い尽くす。砂はきめ細かく、数分で耳に砂が入り、目が痛くなってくる。また、きめ細かいため水はけが悪く、いつまでも水が残った状態になり、汚くなっていく。砂は病原菌をも運んでくるため、都市では衛生面が懸念されている。 <馬もロバも力となる> 市内を10分も走らないうちに、不毛の砂漠地帯が広がる。そこで移動中の駱駝の群れに出会う。100頭以上もいたであろうか。さらに、その一帯をふと見渡すと、そこにはビニールの花が咲いている。ゴミの処理施設もないため、風にビニールが舞い、低い灌木に巻き付き花を咲かす。生ゴミは土にある程度は帰るが、ビニールは風に舞い、地を彷徨う。それをロバが、羊が、山羊が飲み込んでしまう。 センターラインのない道路を器用に車が行き来する。市内至る所に羊や山羊が飼われているというか、道路際に放たれている。バイクはほとんど見られず、小型バスや何10年も前の整備がされていない車が人々の移動手段になっている。 ここアフリカでは、車を、物資を、人々を動かす力は“エンジン”でなく、“1馬力”であり、“1ロバ力”であることが分かった!さらに砂漠では“1ラクダ力”になる。
<インパキ→レバシリ→そして、> モーリタニアの主な産業は鉄鉱石の採掘であり、その鉄の純度は80〜90%で、通常の40%と比較してかなり高くなっている。また銅も採掘されており、岩山には緑青が随所に見られた。さらに石油発掘も進められており、アメリカが内陸部で、オーストラリアが海底で発掘作業を行っている。 モーリタニアでは現在、ガソリンスタンドブームとなっており、実際、我々から見ても新しいガソリンスタンドがかなり多く見受けられた。しかしながら、彼らには輸出をして外貨を稼ぐという発想が乏しいらしく、自国内での消費販売という考えしかないようである。スタンドをつくれば儲かるという発想らしいが、実際の消費先、消費量を計算に入れていない。また原油から即ガソリンが出来ると思っているらしく、精製という作業がつきまとうことを知らないらしい。 商売といえば、国際社会では“インパキ→レバシリ”という言葉の使い方があるそうである。商売のうまさというより、汚さと言った方が良いのかもしれないが、インパキは“インド、パキスタン”、レバシリは“レバノン、シリア”である。そう言えば、セネガルでは植民地時代のフランス人が、商業の発展のためにレバノン人を入植させ、現在の商業の基礎を作ったそうだ。最近ではアジアのホープ=華僑が、バナバナと呼ばれる路上小売人たちに商品を卸すようになっていると聞く。 しかし、レバシリよりもっとえげつなく、上手に商売を行っているのものがいると聞く。その名は、華僑ではなく“ザ・ショウシャ”、我が日本の商社であり、世界中にぺんぺん草を生やし続けているらしい。 |
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