モーリタニア旅行記
 

■ 1月15日=アタールまで ■

<約5時間、遠くがよく見える>

 朝8時、まずはヌアクショットから北東約450H先の“アタール=ATAR”の町を目指す。2台のランクルに運転手2名、案内役2名、我々夫婦、セネガル大使館の現地職員1名が分散して乗り込む。所要時間は約5時間の予定。大量のペットボトルの水、コーラジュース等が入ったアイスボックスも積み込む。トイレットペーパーを購入。さらに市内のはずれで朝食用の温かいパンも購入、バゲットぐらいの大きさのパンが4本つながった現地のパンである。これは本当に美味である。

 国境はあって無きが如し、の砂漠地帯では、町はずれにポリスコントロールを置いて出入りを監視しているという。砂漠の国の知恵である。それにしても地平線が続く、一見土のように見えるがすべては砂である。
 何故か遠くがよく見える、そんなに視力は良いはずがないのに。同行してくれている案内役曰く、昔は眼鏡をかけたが今は1.5の視力があるという。遠くを見続けると目が良くなるというのは本当のようで、特に星を見ること良いそうだ。
 後日妻は、目がひどく悪くて、裸眼では星さえも見えない人はどうするのだろうと気がついた。

<中国の援助で造られた道路>

 舗装された2車線道路が続く。時速120Hで走り続ける。すれ違う車も1時間に2〜3台程度。この道を横断するのは駱駝かヤギ、羊だけである。集落の入り口近くには必ず速度制限表示があり80Hとなっていた。アタールまで向かうこの道は、中国の経済援助にて造られた。
 案内役の方は怒って「日本の経済協力は下手である、日本の援助は学校をつくるとか、目立たないことばかりであり、モーリタニアの国民にはほとんど知られていない」と言う。さらに「中国は大統領府を建てる、生活インフラとして道路を建設する等のことをしている。その中国はたいそう感謝され、大きな待遇を得ている。その中国を未だに経済援助しているのが日本である。何ともおかしなことだ」と。
 妻黙る。


広大な砂漠地帯、数十キロ先は大西洋が出現する

わずかな水で小さな灌木だけが生き残れる

<台地の中の大地=岩漠>

 この辺りは30年ほど前まで、雨は降っていたそうである。1970年頃に大干ばつがあり、その後雨がほとんど降らず、文明化の進行とともに急激に砂漠化が進んだ。昔はセスナで植物の種を播いたと言うが、やはり水がなければ植物は育たない。
 2時間近く走って、1台の車のタイヤがパンク、予備のタイヤに切り替える。その後1時間ほどしてから我々が乗る車のタイヤもパンクした。その先に山が見えてきた。金、鉄、銅等の精錬所も見え始める。

 砂漠を走り続けていると、いきなり岩山が突き出す。山というか、巨大な岩の固まりが段になって連なり、高さは1500m程あるという。大きく2段に分かれた、その中腹の高さにこれから登るという。山間をぬって、谷を走るのかなと思っていたが、登るとなんとそこは巨大な“台地の大地”となっていた。不可思議な感動を覚える。


タイヤがパンク

砂漠と灌木、岩だらけの丘陵

<テルジット=まさにオアシス>

 12時半頃になり、台地の岩山を走り続けて砂漠のオアシス=テルジットに到着した。岩盤立ちつくす谷間にナツメヤシが林立、何万年前の雨水が地下水となって湧き出て、そろそろと流れている。このオアシスは個人の持ち物である。モーリタニアではこの土地が欲しいと言い、幾ばくかの登録料を払えば所有が可能になるという。さらに、この地にも欧米人が観光のため訪れるという。道路は整備されていないのにと思うが、フランス人はわざと舗装させないで、サファリ体験をさせるという。

 昼食を兼ねて3時間ほど休憩をする。テントの中に絨毯が敷き詰められ、休息の場となっている。涼しいというか寒いくらいである。この地方は、夏の気温が40度以上になり、このオアシスが天国になるという。
 ここでも出てくるのがモーリタニアのお茶である。お猪口ぐらいの大きさのグラスに、30センチぐらいの高さからグラスを変えて注ぐことを何回も繰り返す。角砂糖一個分ぐらいの甘さがあり、お茶の苦みとともになんとも香ばしく感じる。これが3回ぐらいは続く。最初飲めるまでに約20分、次が出てくるまで約15分、お茶だけで1時間近く経つ。時間がゆったりと流れる。甘く煮たナツメヤシの実が食前に出されたが、小さな芋に似た形であり、その香ばしさが口の中に広がった。


岩山の中にオアシスが出現

オアシスの入り口

<岩と砂が織りなす造形美>

 昼食は骨付き鶏肉と野菜を煮込んだもの。アフリカの民は手でつかんで食べることが多く、都会のダカールでも家では手で食べるらしい。米、クスクスも手で丸めて食べる。そのべとついた手を見ると何とも・・・であり、これだけは勘弁して欲しいと思っていたら、ちゃんとナイフフォークスプーンは用意されていた。しかし、一つの皿に盛られているから衛生面は何ともはや、これがどうしても駄目なら飢え死にするしかない、アフリカ生活は無理である。我々は食に対する好奇心が勝ってしまった。

 3時間の休憩の後、オアシスを出て岩盤の中をひたすら走る、いわゆるサファリラリーもどきとなる。周りの岩山は長年の砂嵐に砕かれ、削り取っていく。砂嵐は赤い砂となって堆積し、砕かれた黒い石は鋭く剥き出しになっている。ところどころでは、数センチぐらい緑の灌木がうっすらとのぞいており、時には粘土質の緑色も広がっている。雄大すぎる風景である。三途の川がイメージされるが、岩と砂が織りなす造形美とも思える。日本で言えば、浅間山の鬼押し出しを更に過酷にした状況と似ている。
 途中で赤い砂を採取。


オアシスの中の小さな流れ

休息用のテント

<シャワーのありがたみ>

 1時間もしないで夕方、アタール=ATARの町に到着。岩肌の山々に囲まれた盆地の町である。今夜はここ「HOTEL WAHA」で一泊。コテージ風の小さな部屋であるが、意外と落ち着く。電気もちゃんとつく、何とお湯がちゃんと出る!この後の状況を想像すると、ここでシャワーが浴びられなかったら悲惨であった。

 砂漠に沈む夕日は大きく、そのスピードは速い。大きなテントの中での食事、無論、ここからはお酒はない。夕食は、まず前菜にサラダがつくが、人参、ジャガイモ、アカカブに缶詰のとうもろこし、豆、これが意外や美味である。そして念願の駱駝の肉である。最初は塩で焼いただけのもの、焦げ目のところが美味しい。2皿目にクスクスの上に、煮た駱駝肉がついてくる。駱駝肉は牛肉と羊肉の間のような感触で、油は多いと感じる。これが健康に良いと現地のガイドは言うが、眉唾にしておこう。当然皆で突きあう、量は多い、水を飲む。後日のことであるが、朝食に駱駝のミルクを飲んでみた。下痢が怖かったが、なんだいけるじゃないか!
 そしてアタールの夜は更けていく。いよいよ、電気も水もない世界が始まる。


赤い砂を採取

沈む夕日とホテル
  |3|