| モーリタニア旅行記 | |||||||||
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■ 1月16日=ウアダンに入る ■ <大臣様がやってくる> 朝7時過ぎアタールの町を出発、例によって現地のパンを購入し車の中で食す。これまでの道はほとんど舗装されていたが、いよいよ本格的なラリーの世界である。標高500m地帯から岩山を駆け上り、いよいよ1000m地帯に入る。 熟練された腕を持つ現地の運転手たちは、舗装された道路では時速約120Hで飛ばし続け、簡易な砂利舗装でも平均時速80Hで飛ばしている。台地はさらに大地となって広がり、果てしなく続いている。砂埃、砂煙の中をひたすら走り、1時間ぐらいでシンゲッティ方面と分かれる道に達する。そこを左に進路を取り、一路ウアダン=OUADANEを目指す。 <部屋か小屋か、監獄騒動> 午前9時半、出発から2時間半程で、国際会議が開催されるウアダンの町(村)に到着する。電気も水道もない町で、モーリタニアの財務大臣も出席して、関係者および村民による「砂漠の国際コンベンション」が始まろうとしている。 初めてとも思われる日本人ということで、我々夫婦も1部屋、約6畳ほどの部屋をあてがわれた。そこは新築ながらもコンクリートが剥き出しとなり、20センチほどの三角の窓から風が、砂がぴゅーぴゅー入り込むベッドが一つだけのひたすら暗い部屋であった。簡易なコンクリート壁で仕切られた奥には窓が一カ所、トイレ、シャワースペース。待てよ、これは部屋でなく、小屋、いや監獄というものではないか。ここで一晩はいくら何でも悲惨である。どうせならテントのほうがまだあきらめがつく。 同じ思いを、スタッフもしていたらしく、現地案内役のシリアリ氏が、既に民家の部屋を借りるべく奔走しており、その指示に従い、たまらず移動した。移動した民家は電気も水もなく、トイレも共同であるが、カーペットも敷いてあり、風も全く吹き込まないため温かかった、これなら過ごせる。朝の一大仕事になってしまった。
<テントの中のコンベンション> 10時半、国際会議のオープニングセレモニーが始まると言うことで会場に移動。村の広場に造られたスペースには、約6畳ほどの大きさの絨毯が100枚以上敷き詰められ、その上にコの字になったテントが張られていた。メインステージ側の真ん中には、当国の大臣用と思われる豪華な椅子が、その周りにはユネスコ、フランスなどの招待者用の椅子が並べられている。我々は正面左側に座る。 村人も早くから集まっており、この村における一大イベント、祭りが始まる様である。現地の音楽である“タムタム”のリズムが何故か電気ギターで奏でられ、当地の歌い手かと思われる女子が踊り、歌い出す。歌うと言うより、唱えるというか、同じ発声の繰り返しが続く。PA装置もあり、どうやら電源車が持ち込まれているようである。ビデオ取材も入るようだ。一方、テントを支える細い柱をみると、風に吹き倒されないように人が支えている。そして良く見ると蛍光灯が設置されるようになっている。 参加者は約1000人とも言われるが、この村のどこにそんな施設があるのだろうか。そして、皆どこから来て、どこに泊まっているのであろうか。
<時を待つ、時を駆けるならぬ> 11時過ぎ、ああ、やはり始まらない。後進国と言ってはなんであるが、とにかく時間の約束事を気にしない。さらに、どこの国でも偉い人は出来る限り最後に来るというのが美徳となっているようである。まあ、「存在を誇示したいのだ」という人も隣にいたが。それにしても、1時間も経てば始まるだろうと思っていたが、11時半になってもあれ、あれ、あれ?である。 シンゲッティ出身で、漁業省の役人でもある現地案内役のシリアリさんが伝え聞くところによると「大臣がアタールを出たのが10時半」とのこと。飛行機で来るのかなとも一瞬思ったが、いやいや空港はない、ヘリコプターが飛ぶ環境でもない。そうなると、我々のやってきた道のりを考えても、どう転んでも、ここには12時半にならないと着かない。おいおい、2時間以上もこうやって待つのかいな。 <時の過ぎゆくままに> 10時半開始予定のセレモニーが12時45分に始まり、午後2時前にやっと終わる。2時間以上の遅れである。その後2時半からやっと昼食、当然ながら羊料理である。午後3時開始予定の次のプログラムは当然始まらず、果てさて、何時から始まるのかと思いあぐねる。
そうこうしていると、午後4時頃からウアダンの村長(いや失礼、市長)が当部屋を訪れ、過疎化解消のための経済援助を依頼してきた。私は当然、聞くだけである(フランス語は分からないから、何を言っているか全く不明)。 過疎化してきた町を再生するため、若者を取り戻すために電気など生活インフラを整備して欲しい、井戸を掘りたいとのことである。オアシスがあるから、井戸を掘る費用があれば十分な水が出るということである。十分と言っても闇雲に使えば資源は枯渇する。私はこの井戸水も何十年持つことやらと思った。 <時は砂時計に宿る> さてシンポジウムが始まったのは18時少し前、終わりは19時半であった。次の行事であるレセプションは8時半から始まる予定である。当然直ぐには始まらないだろうと予測しても、日本人のしがない性であろうか、ほぼ時間通りにいく。やはり・・・。何と始まったのは夜も更け10時半である。 時計というものが存在するようになり、人間の持つ“時=とき”の観念は大きく変わった。時が文化というものを育ててきたように思える。さらに“時を携帯出来る”という腕時計は、人間生活に大きな変化をもたらしてきた。そして、“携帯”という概念、ツール化するものの存在“時計、カメラ、電話”は現代における人間のあり方、生活の考え方を一変させている。
トイレのために外に出る、満天の星空に月明かりが何とも眩しい。しかし、トイレをするための必需品は懐中電灯である。砂嵐が舞う中、水も電気もない村で、ガスはプロパンというところで、蝋燭のあかりと懐中電灯で夜が過ぎていく。
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