| モーリタニア旅行記 | ||||||
|
■ 1月17日=アタールへ戻る ■ <オアシスでの朝食、シンゲッティ> 朝7時半、村長の招待により、ナツメヤシの植わったオアシスでの食事となる。オアシスでつくられている作物は、“スイカ、イチジク、アカカブ、人参、瓢箪、メロン、ブドウ、サクランボ、ナス、カボチャ等々”小規模であるが、とにかく、水さえあればすべてちゃんと育つとのこと。細かい砂の上では、水は直ぐには地下に沈まず、囲いをつくれば水路として、流れていくようである。この他ハイビスカスに似たビサップというものが取れ、主にジュースとして飲まれている。今、北海道でも飲まれているハスカップと同じではないかと思った。 ここで駱駝の乳を飲み、駱駝に乗ってみた。駱駝は前足を2段階に分けて立ち上がる、そのため前後に揺れて振り落とされそうになったが、起き上がると馬より背が高く、ちょっと怖いものがあった。砂漠を見渡しながら、背上にて「食べて、飲んで、乗って、ラクダなぁ」なんぞと呟いた。 9時前ウアダン発、1時間ほどでシンゲッティ=CHINGUITTIへの分岐点に到着。10時半にシンゲッティ到着。ここはイスラムの第7の聖地であり、メッカに行けない人々はこの地を目指すという。ここから東へサハラ砂漠が延々と続き、駱駝でめぐるキャメルサファリツアーが出来るという。あまりの黄色い荒涼さに唖然。モスクを外側から見ただけで出発。
<絶景なり、アモガン峠> 元の道に戻り、アタールを目指す。30分程走るとアモガン峠=AMOGAN PASSに出る。峠の入り口にはフランス人が最近発見したという、古代の動物を描いた岩が存在する。 しかしながら、言葉に尽くせない、岩を描いた大自然のパノラマスペクタルである。“サハラ”とは砂漠の意味とか、全く砂だけの土地を意味するらしい。“サヘル”は土漠と表現されるのであろうか、やせた草が生えているだけの土地であり、モーリタニア南部に見られる。さらに“岩漠”もある。
<アタールからヌアクショットへ> 12時過ぎアタール着、漁業専門家の現地スタッフを拾うため民家で休憩、食事。またまた羊肉、さすがに飽きる。15時前に出発、約4時間半の帰途につくが、ヌアクショットにたどり着いたのは19時前。人間の目は恐ろしい、ヌアクショットが都会に見える。
■ 1月18日=首都に戻る ■ <でも水とトイレットペーパーが・・・> 9時から挨拶回り、魚市場視察、マルシェなどで布を、民芸店で工芸品を購入。昼食を取り、空港へ。15時、ほぼ定刻通りにダカールに向けて離陸。16時前にダカール着。今度はダカールが何と大都会に見える。風景に色がある、赤・青・緑・黄色、太陽が眩しい。このまま東京に行ったら、なんと感じるのだろうかと思った。 迎えの車の中で、ふと我に返る。ここ、ダカールも本当は砂が多く、物資も少ない世界である。人の気持ちや見方の錯覚が出てくる。慣れは怖いものがある。そして、ウアダンの村長(市長)からは経済援助が要請されていた話を思い出し、少し前の日本の過疎の村と同じように物乞いだけで、自分たちで何かをしようと模索する姿は見えなかった。 日本もバブル後の砂嵐が吹きすさぶ中で、今後、電気も水もなくなっても何も考えず、じっと立ち去るのを待つ民になってしまうのではないかという懸念を抱いてしまう。「まだ、大丈夫、もうすぐ何とかなるよ」は絶対に禁物である。緑溢れる土地であったヌアクショットの街が、たった30年しか経っていないのに砂漠化している。 それにしても、電気も水もトイレットペーパーのない生活は一日だけで結構である! |
||||||
|