セネガル帰国記
 

■ セネガルからの手紙 ■

 アフリカの地、ここセネガルの首都ダカールに来て、早2ヶ月半が経ちました。この後パリに5日間ほど滞在し、3月末には帰国することになります。この地で永井荷風の「ふらんす物語」を読んで、明治時代の洋行者たちはどんな思いを巡らせたのか、長いとも短いとも言える日々を過ごしたのか、そんな思いを抱きながら、感慨にふけることもありました。

 ダカールに来た当初は寒い寒いと言いながら長袖のシャツにセーターを着込んで過ごしましたが、3月に入り、いつの間にか半袖のポロシャツ1枚になっていました。1月から2月にかけては、緯度はフィリピンのマニラと同じながらカナリア寒流の影響で朝晩は冷え込む日々が続き、日中も20度ぐらいしか上がらず、アフリカ=熱帯と思いこむ浅はかな意識にも気がつかされました。
 2月からは「ハルマッタン」というサハラ砂漠から吹き付ける、砂混じりの風にも悩まされました。お陰で鼻炎症状が続き、まるで花粉症の如きでもありました。自分自身の体力、適応力の弱さに気づき、さらに体を鍛えなければと改めて思いました。

 この3ヶ月、雨は全く経験していません。モーリタニアの砂漠は当然にしても、カナリア諸島でも晴天が続き、曇り空は砂漠からの砂混じりの大気が、ダカールの街を覆っていた時だけでした。メゾンのベランダからは星空がよく見え、特に星座オンチの私にもオリオン座がくっきりとわかり、三つ星は光り輝いて見えました。
 レイモンド・チャンドラーの「大いなる眠り」を読み返しながら、雨のシーンにふと感傷を誘われました。そう言えば「雨」と「女性」がハードボイル探偵小説のモチーフであり、そして「アルコール」がその孤独を癒す、喪失感を埋めるものであることを改めて認識しました。

 本当に「思えば遠くに来たものだ」という気持ちです。10年ほど前に、アタワルパ・ユパンキの墓を訪ねて、アルゼンチンの片田舎に行き、地球の裏側から日本を踏みしめましたが、さほど遠さを感じませんでした。やはり旅行することと異国で生活するということの違いでしょうか。
 妻の仕事柄とはいえ、50歳を過ぎてこのような、貴重な海外生活経験が出来るとは思いませんでした。今回のダカール行きに理解を示していただき、温かい眼差しを向けてくれた方々には深く感謝します。そして、この3ヶ月近く受け入れてくれた大使館関係者、そして当地の日本人の皆様方にも御礼を申し上げます。

 そして、何を得られたかと問われれば、具体的に答えようはありませんが、3ヶ月という短い期間ながら「生活する」ということの大事さだけは分かったような気がします。それは、今回の海外生活の目的である妻との生活においてもはっきりとしました。私が生活費をもらって買い物をするなど主夫の役割を行いましたが、5年以上離れた生活を送った我々夫婦にとっては貴重な日々になりました。
 さらに今、「お互い様」の一言を言えることが、どんなに大切であるかが改めて分かりました。人間は、お互い弱い存在であることを認めあうことから始まります。そして、そこから矜持、プライドの強弱を理解しあい、前向きな自信と労り合う気持ちが生まれると思います。

 そして、7〜8年ほど前に、ある人が私に気がつかせてくれた言葉を思い出しました。

期待するな、期待するな、期待したら、裏切られる。
何かをしてくれると思っているのは自分だけ。
自分の希望だけで期待している、相手はそんなことは考えていない。
期待を希望している自分に気がつけ。
自分の周りが苛ついても冷静になれ。
期待するな、仕事に、人に、会社に、そして自分に。

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