セネガル帰国記

■ この地で考えたこと ■

◎セネガルという国、ダカールという街

 ダカールの街は人と車、砂とゴミが入り混じり、まさに雑然としている。店舗に入ってもひたすら埃っぽく、棚の商品にも埃がたまっている場合が多い。買い物も、高いだけのスーパーマーケット、コンビニらしからぬミニ雑貨ショップ、小さなTAXショップ程度しかなく、マクドナルドも、ケンタッキーもない。

 物流機構が整備されておらず、輸入に頼る経済のため、同じ品物が常にあると限らない。ある時に出来るだけ買い置きしないと、欲しい時に手に入れるのは大変である。
 一度売れてしまうと、次の輸入時期まで手に入らない。ひたすらお店を、マルシェを覗き、ある時ある物を買ってしまうしかない。食料品などは日持ちがしないから、どこまで買えばよいのか考え込んでしまう。

 途上国の醍醐味はマルシェ=市場探訪にあると言われているが、それは先進国のノスタルジーに過ぎない。現地人向けのサンダカ市場は渾然一体、食料品から雑貨、部品等々どこから流れてきたか分からないものが並べられている。野菜、衣料、魚、肉等々のひしめき合って並べられ、一軒当たりは畳一畳分もないほどであり、砂混じりになっているなど不潔感は極まりない。

 街を歩くと、バナバナと呼ばれる物売りの人々が数多く見られる。それに缶を持った、物乞いの少年少女たちである。バナバナは老若男女、至る所に現れ、車に乗っていても停車すると必ず寄ってくる。その頭や手に、電池・靴下・果物・テッシュ等々日用品から雑貨まで小分けして売り歩いている。何でもありの世界で、基本的にすべて粗悪品である。

◎物乞いを知ってしまった人達

 物乞いは子供から大人までこの国の特質になっているように思える。
 私は主夫業をしながら、セネガルという国を観察してきたが、当地で生活をしてみると、この国及びアフリカ諸国は、富は一部の階層に独占され、人々は貧しいということに慣れ、何もせずにいるように見える。道路は建設時のまま補修もされず、でこぼこが至る所に出来ている。税金徴収のシステムは分からぬが、公共事業予算というものがどのように配分されているのか知りたい気分になる。

 ハードを導入、援助してもこの国にはメンテナンス、ソフト、フォーローアップしていく予算がない。故に学校をつくっても、教員や教育予算が必要になる。それがないからまた、経済援助を要請する。その繰り返しである。外国からの援助に頼り、自助努力の思想が全く欠けているように思える。バナバナや物乞いの少年はその象徴であり、そのままこの国の大人たち、政治家の姿を反映しているようである。

 一方、日本の道路族が、選挙区の土建業者のためにどうしても予算が必要なら、経済援助としてその業者に、ここで予算を使えとしてしまったほうが余程ためになる。アフリカを自分たちの経済圏として取り扱う気概があっても良いのではないか。さらに言えば、既に経済大国化した中国に莫大な経済援助を与えるのは馬鹿げたことである。必要なところに必要なだけ使うのが税金である。

 妻は公務員であるが、納税者意識が結構高く、ODAは廃止すべきという。「本当に必要なものだけを、この国の生活インフラに役立つことだけに使え」と私に述べるが、至極当然のことである。

◎豊かで怠惰な日本、癒して何になる!?

 日本は、本当に何もかも恵まれているように思える。今改めて、安定した生活インフラの供給が常になされる日本が、いかに豊かであるかということを非常に実感する。首都ダカールでは、過日も夜の停電が30分ほどあり、数分の停電は日常当たり前のことである。電気さえ安定して供給出来ない国である。日本から停電、蝋燭、懐中電灯という言葉が聞かれなくなって久しい。聞くのは地震や災害時の時だけである。その復旧も早い。

 そして、日本ほど物事が順調に、適切に動くところはない。しかし、数ヶ月前の日本を思い出してみても、どうしてこんなに停滞しているのか、つくづく考えてしまう。何故に今、特に経済効率が悪くなっているのか。恵まれていることを実感できないことと先の目標が見えないことでもあると思うが、今の環境に満足して、いや安住して先に進まない怠惰なものが充満している。

 また、個人個人の能力は高いのに組織が硬直化しているため、全体として効率が悪くなっている。一方、かなりまったりとして、無気力で無目的なイメージの学生が増えている。さらに、モラトリアムから脱することのできないサラリーマンも増えている。「色々な人がいるから」という一言では片づけられない複雑な課題も抱えているが、癒しという言葉だけが闊歩している。

◎マスコミ記者にアフリカ生活を!
 
 今、日本国民はかなりの程度メディア情報に、マスコミ言葉に踊らされることが多い。日本とこの国を比較していくうちに、ある思いが浮かんだ。日本の新聞テレビ雑誌の記者をアフリカに1ヶ月招待して「生活すること」を体験させたらどうであろうか。生活をすることは事実ばかりでなく、真実を知ることに繋がる。それは翻って、日本を知ることに繋がり、どうあるべきかを考える素にはなるだろうと思える。無論、記者魂が残っていればであるが。

 3ヶ月とは言わないが、1ヶ月程度でよい。出来る限り多くの記者にアフリカ生活、国情を実感させる必要がある。外信部、文化部の記者でなく、政治部、社会部の記者がよく、デスク及び中堅クラスが特によい。場所を鑑みると、やはり政情が不安定な国、極端な環境を持つ国はよくない。生活を知ると言うことを考えると、国情もある程度安定し、首都でもあり、適当に何かがあり、何もないこの国、セネガル、ダカールが良いと思われる。食事情や記者の夜遊びを考えても多くのイメージの落差に気がつくであろう。

 これを政府の広報予算でやっても国民は何も文句を言うことがないはずである。それより、多くのちゃんとした情報が得られる。また、記者の視点の拡大、能力向上にも繋がるはずである。そのレポートは必ずメインの紙面に掲載されることを前提とする。

◎多くの人々の志との出会い

 何が一番かと言えば、やはり人間とのふれ合いであろう。この地の日本人は約150人と言われ、あまり多くない。ダカールでは大使館関係者とJICA関係者がほとんどである。特にJICA及び海外青年協力隊の方々は皆、志をどこかに持ち、海外に出てきた方々である。それなりの眼差しをしている。日本にいる無気力、無感動の若者、惰性の中年たちに知ってもらいたいことである。しかし、生き甲斐を探しにくる若者が多く、挫折するものも多いと聞く。生き甲斐は探すものでなく、創るものであることを忘れているからであろう。

2003年3月13日現在
続く

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